幼児は愛であっても憎しみであっても、それを自由に表現するための資源をほとんど保持していないので、自分の身体的なあらゆる生産物やあらゆる活動を自分のものすごい願望や情緒を表現する手段として用いなければならないのである。(p.137)
外的で身体的な現実に照らし合わせてみるなら、空想は、その他の精神活動と同じく虚構である。なぜなら空想は触ることも、操作することも、見ることもできないからである。しかしそれは、主体の体験においては現実である。(p.143)
子どもは現在の自分の情緒的、知的な欲求を具体化できる過去の状況での諸要素を選んで、それを遊びのなかで再創造するのである。そうして現在の遊んでいる状況へと、絶えず細部を合わせていく。想像的な遊びのなかに過去を呼び起こすこの能力は、建設的な仮説のなかに未来を呼び出す力や、「もし」ということの結末を考える力が成長してきたことと密接に関連している。(pp.157-8)