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まちがったっていいじゃないか(森, 1988)

 他人にめいわくをかけずに生きる、ということが言われる。そんなことが本当にできるのだろうか。…(中略)…親子だって、おたがいにめいわくをかけあっている。友人だって、そうだ。人間が、他人と関係を持つときに、その他人に、まったくめいわくをかけないなんて、考えられない。だれにもめいわくをかけていない、なんていばっている人間は、そんなことを言われるだけでもめいわく至極だ。やはり、おたがい、めいわくをかけあっていると思いながら、生きていくほうがよい。...(中略)...どんなに、ひっそり暮らそうとしたって、他人にめいわくをかけないはずはない。山へこもって隠者になろうが、いっそ自殺してしまったところで、そのこと自体、まわりの人間にめいわくをかけることになる。世間との関係が増えるというのは、他人とのまさつも増えることである。他人との関係を絶つことが、自由に生きることに通ずるかというと、ぼくはそうは考えない。それは、自分の生き方の範囲をせばめていくことになる。それよりは、他人と関係を多くとり結び、そのことによって、おたがい、めいわくをかけあう機会を持った上で、あちらこちらとぶつかりながら生きるほうが、人間にとっての自由だと思う。...(中略)…それでも、他人にめいわくをかける場というのは、他人から悪口を言われる場でもある、ということは心しておいた方がよい。他人から悪く言われぬようにと、ひっこみ思案で小さくなっているほうが、危険は少なそうに見える。もっとも、たいていは、あの人は陰気な人だなどと、そのこと自体を悪く言われたりもするものだが。しかし、人間にとって、自由に危険はつきものである。他人にめいわくをかけ、そのことによって、他人に悪く言われる危険を覚悟しなくては、人間社会ではなにごともできない。むしろ大事なことは、自分が他人に迷惑をかけていることを、いくらかうしろろめたく、いつでも自覚していられることである。だれにもめいわくをかけていないと、胸を張ることではなくて、めいわくをかけた相手の心を思うことである。(pp.152-156)