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子どもの宇宙(河合, 1987)

 3,4歳の子どもが死について考えていることを、森崎和江(日本の詩人、ノンフィクション作家)が述べている。感動的な事実なので他にも引用したが、ここでもまた取り上げることにしたい。森崎は自分の二人の子がそれぞれ、3,4歳ころに、「なぜ死ぬの」「死んだらどうなるの」「ママは死ぬこと、こわくない?」と問いかけてきたと述べている。

 

 "その問い方も、なにげない遊びのあいだの思いつきとしてではなかった。ひとりで眠っていて、眠りが覚めた夜中の、しんと心が落ちついているとき、そのことをひとりで考えつづけ、考えきれなくてしくしく泣き、それに気がついた私に、問うたのだった。子どもがこれほど真剣に問いかけてくるとき、親はごまかしが言えない。

  「あのね、みんな、こわいのよ。でも、元気よく生きるの。ママも、あなたと一緒に、元気よく生きていくから。だから、元気で大きくなってね…」"

 

 森崎は正直に自分の考えを語りながら、「ことばを聞こうとしているわけではない裸の魂が、感じられて、子を抱きつつその大きさ重さにふるえた」。確かにこんなとき、子どもという存在の「大きさ重さ」が本当に感じられるものだ。子どもは常に小さいとは限らない。森崎は、まっとうに答えられぬ自分を責め、「ただひたすら、一緒に生きるからゆるしてね」と心から思っていると、

 

 "そのうち、子がわたしの背へちいさな手をのばし、撫でつつ言った。

 「泣かないでね、もうこわいこと言わないから」"

 

 母の涙を見て、子どもはけなげにも母を慰めようとしている。大人が本当に心を開いて接したとき、大人と子どもの地位が反転するときがある。三歳の子は、母の涙によって慰められ、またその母を慰めようとしている。これほどの母子の心の深い交流が、「死」を契機として生じていることにも、注目したい。死を遠ざけて生きている人は、真の心の交流を体験することは非常に難しいであろう。死は真剣に取りあげられる限り、生に深みを与えてくれる。。(pp.158-9)