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今日の精神療法を支える価値観(広沢, 2007)

 すべてにおいて、目に見える結果(たとえば試験や売り上げなどの数値)で人間の価値までもが判断されるようになった。もはやそこに至る過程は重視されず、効率のほうが優先されるようになった。もちろん過程が日の目を見ることもあるが、その多くは成功者の物語としてであり、今、現実に生きている人間をめぐる現象ではではない。このような価値観は、人間が当然持っていたはずの、自己の存在をめぐる「時間・経過・流れ」の観念を希薄にし、今のあり方のみを重視させることになる。(p.1385)

 

 科学が極めて進歩し、グローバリゼーションが進んでいる現在、それらを否定し、19世紀後半から20世紀前半をリードしてきた強固な「自我」の復活を目指すことは、現実離れした事柄であろう。かといって、「個」の確立を放棄し、「自我」の存在をないがしろにする姿勢は、人間存在行そのものを危うくする。…(中略)…いかような形であれ患者が「自我」の存在を肯定し、その上で患者自らがその「自我」の特性を把握し、それを受容し、自身の置かれた環境を生きていけるよう援助する姿勢を持つことこそが、精神療法を行う者が持つべき「価値観」ではないかと思うのである。…(中略)…ここで筆者のいう「自我」とは、出生以来の歴史をもち、その歴史の総体としての現在があり、そして未来もまたそれに基づいて展開し得るような「生きる」自我である。それは必ず時間の連続性の感覚を伴い、外的価値ならぬ内的価値を生み出す根源をなす。(p.1386)