· 

ベツレヘムに向け身を屈めて歩くこと(Coltart in Kohon ed, 1986 / 西園監訳, 1992)

 事実に対する理解の発展と変換の手段は、分析者の直接的注意と知覚であり、それまでは意味をなさなかった患者の心的あるいは言語的な断片的要素を、思考過程にまとめあげ、患者に返していく分析者の能力である。(p.116)

 

 われわれの作業には言葉を超えた次元のものが常に存在する…(中略)…ある人は、他の人よりも思考のおよばない物事で苦しんでいる。そしてそのためにわれわれは、治療的変換、すなわち思考を思考の及ばぬものに、言葉を表現不可能なものにあてはめていく援助を、全力でなさねばならない。徐々に、分析的枠組みの中で狂暴な野獣が生まれる方向に進み、そこから生まれた新しい創造物の出現が患者の心を幸せに平和にするのだ。しかし、われわれすべの内には、われわれが達し得ない何かが残る。常にすべての人の心には不可解さが存在し、またそれゆえ、分析者としてのわれわれの仕事にも不可解さが残るのである。(p.127)